3年前に放送された第一弾。その頃私はファンでもなんでもない頃。
確か、中間テストの前日で偶然テレビを観たら、その番組がやっていました。
なんか、テスト勉強もせずに一時間、夢中に見てた記憶があります。
あの頃はayuファンになるなんて、思いもしなかったですが・・
そして、第二弾。
ayuに対する気持ちが3年前と明らかに違う今、第一弾とはまた違った衝撃を受けました。
2001年、ベストアルバム発売。
「思っていたカタチでリリース出来なかった。」レコード会社に決められた発売。
「浜崎あゆみという一人の人間ではなく、組織の中の一部、大事な商品なんだと解釈した。」
「ここでとことん生きて、人間として生きてやれ、組織と闘ってやる」
人間としての浜崎あゆみを手に入れるための組織との戦い。あるいは自分との戦い。
近年、「戦い」というフレーズが歌詞で使われるようになりましたが、この事だっただろうかと解釈。
『戦いもせずに癒し求めるもんじゃない』(Real me)
『きっと自由との戦いは続いてくんだろう』(Heartplace)
ドームツアー。
左耳の障害、転倒事故。これには言葉を失いました。
担架に乗せて運ばれていくayuの姿が痛々しかった。
『君が絶望という 名の淵に立たされ そこで見た景色はどんなものだったのだろう』(Moments)
ここでいう景色とは、このことではないでしょうか。
「上と下と、左右にカベがある感じ。」
周りから見れば何もかも自由に手に入る環境にいるのに、強くのしかかる閉塞感。
この歌詞を思い出しました。
『僕達はそう自由でだた余りに自由過ぎて 何処へだって行け過ぎて何処へも行けずに』(everywhere nowhere)
2004年。「過去を許せなかった。負い目みたいなものを感じていた」というayuが過去と向き合う。
福岡帰郷で終始見せていたayuの表情が、とても穏やかでした。
番組最初で出てきたベスト発売時期とはまるで違っていました。
一番印象に残った言葉。
「真実はひとつじゃない 真実は受け取る人それぞれに感じること」
受け止める人それぞれにとって真実であればそれでいい。
様々な情報が行き交う今、結局は自分の意思を頼りにするしかない。
『真実ならひとつなんて一体誰がいつ決めたの そんな時代はもう通り過ぎた頃』(WE WISH)
5年間にも及ぶ取材の割には、ちょっと内容が偏りすぎでは?と思ったんですが、
それも番組HPで制作者の意図を読んで、少し納得しました。
「今という時代を生きるすべての人に向かって発信」
でも、やっぱり一時間は少ないです。
ファンとしては、ayuの声をもっと聴きたかった。
最後、ayuの笑顔が見れて本当に嬉しかった。
昨年のA museum、そしてMemorial addressと、一つの区切りをつけようとしていた気がします。
そして今回の放送。過去の自分とようやく向き合う事ができて、
またここから新しい浜崎あゆみが始まってゆくのではないか、そんな気がしました。
(2004.04.18up)
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